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の「紙の時刻表」が最終号に 会社創立から70年
会社の創立から70年続いた日本航空の紙の時刻表が最終号となり、さまざまなものがデジタル化で変わる中、その役目を終えることになりました。
最終号は、国内線の5月分までの時刻表が掲載された号で、ちょうど今頃から羽田空港をはじめ全国の空港のチケットカウンターなどに置かれています。
空の時刻表は、日本航空では昭和26年から、全日空は昭和29年から発行し、出張や旅行の計画を立てるのに欠かせないことから、多くの人が手にしてきました。
デジタル化が進み、オンラインで予約することが一般的となっても、紙の時刻表はスタッフと利用客のコミュニケーションの手段として役目を果たしてきました。
しかし、紙の時刻表を利用する場面が次第に限られるようになり、新型コロナウイルスの影響で時刻表通りの運航ができない状況が続く中、全日空がことし1月の分を最後に廃止したのに続き、日本航空も今配布している号を最後に役目を終えることになりました。
時刻表を受け取った40代の男性は「学生時代は時刻表を見ながらどれにしようかなと選んだりしていましたが、気付いたらネット社会で、スマートフォンを見て決めています。なくなるのであれば、記念に持って帰ってとっておきます」と話していました。
日本航空のカウンターで働く京河杏奈さんは「お客さまとコミュニケーションを取るツールの一つだったので、それがなくなってしまうのは残念に感じています」と話していました。
福島 飯舘村で村長務めた菅野氏が講演“原発事故 伝え続ける”
福島県飯舘村で24年間にわたって村長を務めた菅野典雄氏が今日、双葉町にある東日本大震災・原子力災害伝承館で講演し、復興のために必要な施策を考え続けた日々を振り返りました。
菅野氏は、平成8年の初当選以来、6期24年にわたって飯舘村のかじ取り役を務め去年10月に退任しました。
今日、東日本大震災・原子力災害伝承館で行われた講演会で菅野氏は、原発事故で村に避難指示が出された当時の状況について「国からは長野県や岐阜県に避難場所を確保したと言われたが、住民の生活が大幅に変わることがなく、地元での再建がしやすいように車で1時間以内の場所を必死で探し、9割の人の住居を確保した」と述べました。
また、「被害者の立場にたって、国や東京電力に必要な補償を求めていくことは当たり前だが、復興するために何が最も必要なのか考え、場合によっては折り合いをつけることも大切だ」と述べて復興のために必要な施策を考え続けた日々を振り返りました。
そして菅野氏は、「次の世代が安心・安全に暮らしていけるような時代にバトンタッチをできるよう、一人ひとりが考え、原発事故の被害を伝え続けていくことが必要だ」と述べ、原発事故について後世に伝え続けることが必要だという考えを強調していました。
冬に別れ告げ 春の訪れを祝う ロシア サハリンで伝統の祭り
ロシアでは長い冬に別れを告げる伝統の祭りが各地で行われ、このうち、先月から新型コロナウイルスの感染拡大による制限がほとんど緩和された極東のサハリンでは、多くの市民が集まり、春の訪れを祝いました。
ロシアでは、雪で閉ざされた長い冬に別れを告げ、春の訪れを祝う伝統の祭り「マースレニッツァ」が毎年この時期に行われます。
このうち極東サハリンでは、新型コロナウイルスの感染拡大で続いていた飲食店の夜間営業などの制限が先月からほとんど緩和されていて、14日は中心都市ユジノサハリンスクの公園には数千人の市民が集まりました。
会場では祭りに欠かせない春の太陽をイメージしたロシア風クレープ「ブリヌイ」が用意され、地元の料理人たちが大きな鉄板で直径2メートルの巨大なブリヌイを焼いてふるまいました。
また冬を象徴する高さ15メートルの人形が燃やされると集まった人たちは拍手するなどして春の訪れを祝っていました。
参加した女性は「この祭りは、春の訪れ、喜び、健康を連想させます。だからすてきな一日になり、ブリヌイもおいしいです。制限は解除されましたが、常に健康に気を配ることが大切だと思います」と話していました。
サハリン州政府のまとめによりますと、これまでにワクチンを1回以上接種した人は3万人以上にのぼるということです。